手芸女子

きっかけ

ハンドメイドは今のところ一番の趣味

考えてみたら小学生のころ近所の手芸店に行って

「ペーパーフラワー」のキットを買って作っていた

1セット300円くらいしたので母や祖母にお金を無心してはお店に買いに走る

作ると結構うまくできて( ´∀` )

「都忘れ」とか「キキョウ」とか玄関の花瓶に刺して飾った

それを見せるとみんな「上手いもんだ」と褒めてくれる

それが嬉しくてまた作りたくなる

ある日「リボンフラワー」を買った

ペーパーより少しお高いリボンでバラの花を作った

リボンの艶やかな輝きのある花びらが私を虜にした

それから私はお小遣いを貯めて

キットではなく針金やテープやリボンなどの材料を買うようになった

そして本を見ながら自分なりに作っていくようになった

花びらの型紙を作って切ったり

接着剤でリボンにワイヤーを貼って葉っぱを作ったり・・・

子どもの趣味としては結構お金がかかった

今考えると母も祖母もよく文句も言わずに資金を援助してくれたと思う

そして父も母も祖父母もみんなが

「器用だな」「よくできているよ」と褒めてくれた

それが子ども心に嬉しかった

私がハンドメイドが好きなのはきっとこんなことがきっかけ何だと思う

社会の縮図

大家族の中で育った私はその中でも一番年下

祖父母に両親に2人の姉妹に3人の父の妹たち

覚えがあるのは10人で暮らしていた幼い頃のこと

さらに隣に父の姉夫婦が4人で住んでいてしょっちゅうやってくる小姑満載の家

女が多いと何やかや意地悪さが横行する家庭環境

祖母と叔母たちは両親の悪口を子どもに吹き込む

周りは大人ばかりだからその中で

失敗しないように何か言われないように生活しないといけなかった

たまに口答えをすると後で母が嫌味を言われて大変な目に合う

私の育った昭和の家庭はドロドロをたくさん見せてくれた社会の縮図であった😱

きっと世の中はみんなこういう人だらけなんだろう

外に出たら周りに負けないようにしないと

学校でも頑張っちゃっていた気がする

友達と話をするといつも言われたのが

「お家厳しいんだね・・・」

しかしこれが大きな間違いだったと気がつくのは

なんと30年位後になってからだった

見せかけの強さ

周りに負けないように・・・そんな鎧を着ているから

若い頃の私はいつも疲れていた

人に弱みを見せるな

もっともっと上を目指してやらないとダメだ

走って走ってもっと走って!

鎧は脱いじゃダメなんだよ・・・ってずーっとそうやって生きてきた

私らしく

40歳を過ぎたころからこれからについて考えるようになった

このままでいいのか・・・私?

鎧を身につけたままの私は子育て真っ最中のために自分の時間を持っていなかった

が・・・あるとき本屋で雑誌を見てビーズの指輪作りにハマってしまった

一度ハマったら寝るのも忘れるくらいに没頭してしまう・・・

キラキラしたビーズに魅せられて数年間はビーズ沼にハマってしまった

毎日やっていたくなるほどになってしまったのだが仕事も辞められない

また外でたくさんのストレスと悩みを抱えて寝るためだけに家に帰るような日々が10年近く続いた

そして突然やってきたのがあの「コロナ禍」だ

在宅時間が増えてまた手芸を再開した

今度は裁縫だ

マスク不足で手作りする人が増えたと聞き

たくさん作った

しかも素材やデザインなども工夫して

そして楽しんで・・・

コロナのことも不安だったが

私には本当に楽しい時間だった

こういう時が一番幸せを感じると自分で気がついたときに

心が軽くなっていくのを感じた

これが心の鎧が脱ぐということなのかな・・・

私が私らしくいられる