今日が命日🎼🎵23歳が夢見たもの
音楽家滝廉太郎

「春のうららの隅田川~」という歌い出しの曲・・・「春」じゃなくて「花」という日本歌曲ですよ!
老いも若きも桜の花の咲くころになるとこの曲をどこかで耳にしたことがあるんじゃないかな?
今日29日はこの曲を作曲した滝廉太郎のことを
6月は19日が太宰治の命日「桜桃忌」で知られているが
私は6月の終わりになると滝廉太郎の命日を思い出す
明治維新後の日本の音楽の西洋化に尽力した若き音楽家
「箱根八里」「荒城の月」「「花」などの日本歌曲を生み出し若干23歳という若さで亡くなった
そして日清戦争の頃は戦意高揚のために軍歌の作曲もしていた廉太郎
何にでも一生懸命で夢中になると寝食を忘れて物事に没頭するタイプであったらしい
明治時代の封建的な家長制度の中で育った廉太郎は滝家の跡取り息子
父が姉に買い与えた西洋の楽器で遊んでいた廉太郎
小学校にあったオルガンを通して音楽のことをもっと知りたいと思うようになった
しかし父には猛反対される・・・親戚の説得の音楽の道へと進む道が開けた
並々ならぬ努力と覚悟で勉強をし最年少で東京音楽学校(現在の東京芸大)に入学し
ピアノと作曲を学び成績もトップ
そして西洋音楽に近づきたいとそれまでの日本古来の音階「ヨナ抜き音階」から
西洋音階を使って作曲をし日本の音楽界の「西洋化」に大きな功績を果たした
代表作の中で
「箱根八里」は勇壮な切れの良い部分とゆったりとした旋律の曲調が魅力的
「花」は彼の人生の苦労を感じさせないような
西洋風の軽やかで流れるような美しい旋律感と伴奏はモーツアルトの曲みた~い!
「荒城の月」のものの哀れを感じさせるうら悲しい曲調は聴くものの胸を打つ
・・・とハッピーは個人的にそう思うのである
彼は「努力の天才」だと思う
廉太郎は国費留学生としてドイツへ留学したが肺結核を患い帰国
日本に帰国しても周囲は冷たく教師の資格も取り上げられて彼の日本での居場所はなかった
どんな失意のどん底にいたのか・・・想像するだけでも筆舌に尽くしがたい
九州の実家で療養をするがよくならない病状に時にいら立つこともあり周りに当たったりしたそうだ
そんな時母が彼の作曲した「箱根八里」を歌いながら廉太郎の背中をさすると
廉太郎は次第に落ち着いたという
そして当時は不治の病であった「肺結核」・・・若干23歳と10か月で逝去してしまった
若い廉太郎が夢見たものを思うと切なくなってしまう
今はグローバル化してどんな音楽でもどんな民族とでもいつでもどこでも世界中で分かち合える
でも6月29日になると思い出すは寝食を忘れて音楽に没頭し研究を重ねた一人の若い音楽家のこと
「荒城の月」についてこんなエピソードがある
留学先で廉太郎がピアノで演奏してみたところ
「ブラームスの曲のようだ」と絶賛されたとか・・・
ドイツの3大B(バッハ・ベートーヴェン・ブラームス)のうちの
ひとりと並び称されるとは何と言いう名誉だろう

日本の音楽界の先駆けとなった音楽家「滝廉太郎」
音楽に国境はない・・・音楽は世界を結ぶ(o^―^o)ニコ
きっと彼の夢見たのはそういうことじゃないのかな・・・
そして先人のこうした足跡の先に私たちの今が未来が繋がっているんだよね・・・
今日はピアノで「花」と「荒城の月」を弾いて滝廉太郎を偲ぼう🎼
(今日は思ったことをダーッと書いたので何だかまとまらないのだがご勘弁を( ´・・)ノ(._.`)・・・)
今日のニャンコ
伸び~・・・
みなシャン・・・おはニャン!
あずきですニャン
伸びているところ・・・見られちゃったニャ( ´∀` )


ベランダから流れてくる風が気持ちいいニャ
静かで時間の流れる音だけがするニャ

そこへ母たんがやって来て”パチリ”だニャ
お出かけかニャ?
大丈夫だニャ
ここで待っているから・・・フニャ・・・
